見た目と自己肯定感について
私は体重が平均より30キロくらい重い。
顎が長いし、受け口だし、歯並びもガチャガチャしている。
首が異様に太くて、やりたい髪型はどれも似合わない。
髪も硬くて、セットしても家を出て10m歩いたらもう寝起きと同じ状態に戻っている。
服もしまむらや楽天の大きいサイズ専用みたいなお店でしか買えない。
足のサイズも大きいのでメンズしか履けない。
それでも、自分が可愛いと思うし大好きだ。
どんな見た目であっても、私は存在する価値があると思う。
高校生の頃は今と真逆だった。
写真には極力写らないように気をつけていたし、スカートは女性の特権だと思い、デブスは女性とカウントされないのでズボンしか履いてはいけないと思って過ごしていた。
笑うと頬肉がもっこり浮き上がり、ガチャガチャの歯が丸出しになるのが嫌で、なるべく口角を下げながら笑うようにしていたし、今もそれが癖で治らない。
太っていることはダメなことで、治さないといけないことだと思っていた。
太っている限り自分はダメな人間で、人から好かれる資格もないと、心からそう思っていた。
そんな自分を変えてくれたのは、2人の友達だった。
1人は、遊ぶたびに私の写真をたくさん撮って、可愛い、特に笑顔が好き、と何度も伝えてくれた。自分の笑顔が一番嫌いな私はその言葉をずっと信じられなくて、可哀想な私のためにお世辞で言ってくれてるんだと思っていたけど、友達になって10年経った今でも変わらず同じことを伝え続けてくれる、そんな友達をちょっとずつ信じることができるようになった。
確かに、美人の笑顔では全くないけれど、良く見ると愛嬌があるかもしれない。楽しそうに笑っている顔はちょっとは愛らしいのかも。
そうやって少しずつ、私は自分を受け入れることができた。
もう1人は、私の存在をずっと肯定してくれた。私のどんな意見もまっすぐ聞いてくれるし、誰かと諍いになった時も私の話を信じて味方してくれた。一緒にいて楽しい、友達でいてくれてありがとう、と伝えてくれた。
いやいや大袈裟な、と思っていたが、いつしかこの友達の存在が、「私って存在していていいんだな」と思える根拠の一つになった。
社会人になった今も定期的に遊ぶ友達は、この2人だけである。
少ないと思う人もいるかもしれないが、私はこの2人がいつまでも私と仲良くしてくれていることが嬉しいし、恵まれていると思う。
私もこの2人の支えでありたい。そう思える友達が2人もいる自分は幸せ者だ。
そんな友達の1人と一昨日は韓国ドラマをひたすら観る会をした。
友達には恵まれたので、あとはイケメン御曹司に愛されるのみなのだが、それはまだ先になりそう…オットッケ…